筆者自身はコンピュータ音楽の技術の中では、ひたすら音合成の
研究を遂行している。また作品もこれらの技術に依存したものと
なっている。これはミュージックコンクレートの流れを汲むものである。
これは、絵で例えれば絵の具作りをしているようなもので、
MIDI接続による音源駆動などの出来上がった音の直接制御による音楽に比べ非常に
作曲効率は悪い。
しかし、このやり方は音色を根底から
追求するという姿勢であり、将来の音楽の核になると筆者は信じて
いる。また、現在でもMIDI制御のみでは表現できない味わいのあるキメ
細かなものである。
曲は、「し」、「ず」、「く」などの7つの部分から成る。
この意味で、歌声は音声の韻律を最も洗練させたものと考えることができる。 しかし、コンピュータを用いることにより、歌声とは別な、より音楽的に 洗練された韻律という考えが成立した。つまり、音声をコンピュータにより 処理して用いた音楽は、機械による現代的な「歌」なのである。
この曲は実際の楽器音と競演するために、本来の言語的な意味としての 韻律とは別に、より音楽的(楽器的)な使用を意図したものである。 このため、声質、ピッチ、およびイントネーションなどを信号処理し、 音楽的に洗練された韻律の合成を試みた。
一方逆に、楽器の方は音声の韻律的側面を模倣しようとする。つまり、楽器 が喋ろうとする。
なお、表題のProsody++とはコンピュータ言語のC++にヒントを得た、 「拡張された韻律」といった意味あいである。
ピアノ:渋谷淑子
"Sound Textile" for Piano and Computer (1998)
この作品はピアノと二台のコンピュータによるコンピュータ・システム
(システム図参照)、Windows PCコンピュータとIRCAMシグナル・プロセッシング・
ワークステーション(ISPW)を搭載したNeXTコンピュータにより演奏される。
このコンピュータ・システムは二つの役割を遂行する。一つは、NeXTコン
ピュータ とISPWによって実現されるピッチシフトなどピアノ演奏のリアルタイム
加工であり、MAXによ ってプログラミングされている。もう一つは 、この作品の
もっとも重要なテーマである「音 色モーフィング」による従来の楽器音や電子音
とは異なった新しい音色のコンピュータ合成 である。この音色モーフィング技術
を用いることにより、例えば、ピアノ音とギター音の中 間にある音色、あるいは
ピアノ音とサキソフォンの音の中間にある音色を造りだすことが可 能になる。
さらに二つの音色間を連続的に変化していく音を造りだすこともできる。
演奏に際してはステージ上でのピアノ演奏と共に、コンピュータから出力
されるピ アノ音を起点とするモーフィング合成音が、あたかもこうもりのように、
ピアノの音色と他 の音色との間を行き来していく。従って、スピーカーからの
コンピュータ音はピアノ音の拡 張としてホールに響き、プリペアド・ピアノや
内部奏法といった従来のピアノ音拡張技法と は違った新たなピアノ音の拡張が
実現される。
このピアノ音からのモーフィング合成音は、一部、引地孝文の協力を得、
NTT基礎研究所のスタジオでコンピュータ演算処理により制作された。そして、
この音素材群はWindows PCコンピュータ上のハード・ディスクに蓄積され、演奏に
際しては同研究所で開発された「 Otkinshi(おっきんしゃい)」というソフトウェア・
システムを用いて、コンピュータから再 生される。この「Otkinshi」はさまざまな
コンピュータ音合成を実現するソフトウェアであ ると同時に、多数のサウンド
ファイルの再生を制御することができる。ピアノ演奏の進行に 合わせ、リアル
タイムにコンピュータ出力音をコントロールしていくことにより、そこにピアノ
とコンピュータによるアンサンブルが実現される。
この作品は、渋谷淑子さんの委嘱によりNTT基礎研究所のコンピュータ音楽
スタジオで制作された。タイトル、「音の織物」はモーフィングによる音色合成と
作品中で 使用した音列とが、あたかも織物の縦糸,横糸のように織られていく様を
イメージしている。
篳篥:西原祐二
"Turn-taking" for hichiriki and Computer (2000)
音声対話で,次にどちらが話すか,という発話権を保有することを会話の番という.
人間が話すことと聞くことが同時にできない以上,互いに会話の番を制御しながら
対話を進めていくことは,日常生活においては当たり前で議論にすらならない.
しかし,音声対話の研究の意味ではこの問題が工学的にテーマとなってきたのは
作曲者が問題提起していらい,ほんのここ10年程度である.この現象を拡張して,
音楽のアンサンブルでも,「番」の制御という問題を取り上げで作品に反映させた.
とくに,会話のピッチパターン,音量などの韻律をこの作品に投影させた.これは,
対話の音楽的側面を強調して作品に仕立てたことになる.
作品は,以下の曲から成る.
音楽あるいは音響信号の中で同じ情報を繰り返す、あるいは重ねることは非常に 重要なことである。 基本的な作曲技法の一つである対位法で は、一つの旋律を元とし、その逆行、 反行およびそれらの重ね合わせ、伸縮、拡大などで音楽的秩序を説いている。 また、音響信号では重ね合わさる信号の遅延時間の大きさにより、 音色の変化、残響感、反響などの諸要素が生ずる。
このように、音楽、音響信号いずれの レベルでも「ある情報を元にこれを 、あるいはこれを修正したものを何度も重ね合わせて全体を構成する。」 という枠組を、 コンピュータを用いてさらに広げていくため技術的な検討を始めている。また、 この観点に立った作品作りを始めた。 これらの作品のシリーズを直接的な聴覚でなく、視覚で暗示させるよう、 各種鏡を用いた表題としている。 今回は素直な鏡として表題を選びながらも、技術、音楽両面の 今後の可能性を模索している。 システムはNeXT turbo,ソフトはMAXとOtkinshiを使用した。 sopranoのテキストは万葉集から、鏡を表層的に扱っている以下を 取り上げた。
[Seymour 1988] Richard Seymour, Michael Palin and Alan Lee, ``The Mirrorstone'',Jonathan Cape Ltd, London, 1986. 邦訳 掛川恭子, 岩波書店, 1989.
音合成および演奏の特徴は以下のとおり。
サクソフォーン: 野田 燎
この曲は,万華鏡の対照的な要素,本物と複製,ゆるやかな変化,一見周期的で
変化は元へ戻りそうだが,二度と同一局面がない,といった特徴を意識し,音色の
変化でこのようなことを表現しようと考えた.
尺八:三橋貴風
Osaka, Naotoshi ``Nubatama'' for Shakuhachi and Computer
Shakuhachi: Mitsuhashi, Kifu
曲の中では,さまざまな音の中の特徴を持ち寄って一つの音を合成する混成音 (サウンドハイブリッド)という合成技術の使用を試みた.例えば,尺八外の音色を タネとしてそこに,ユリ,コロコロなどのビブラート,トレモロなどの奏法を付与 する合成技術である.なお,尺八は二尺四寸管である.
合成はWindows上の音合成システム「おっきんしゃい」を用いて制作した.また一部 mac上のmax/mspを使用している.
``Multi-layer mirrors'' for Hichiriki and Computer
篳篥: 田渕勝彦 Tabuchi, Katsuhiko
チェロ: 松崎安里子 (Ariko Matsuzaki)
尺八: 三橋 貴風 (Kifu Mitsuhashi)
ピアノ: 秦 はるひ (Hata Haruhi)
システム:引地孝文 (Takafumi Hikichi)
あらまし:音響や,譜面のさまざまなレベルにモーフィング手法を応用した曲.
また,新たな楽音合成システムとして,デジタル笙のSho-So-Inを使用している.
[モーフィング]
モーフィングは,コンピュータグラフィクスの技術で,一つの画像から他の画像
へ滑らかに移行させる合成技術である.この技術用語は知らなくとも,人形の顔
から人の顔まで,あるいは絵画の顔から実際の人物写真まで変形する,という
コマーシャル映像は皆おなじみであろう.音も同様に,ある楽器音から(歌)声まで
連続体に変化する音,あるいはこれらの中間音など現実にない音色,また,一つの
楽器の音域を越えるグリッサンドなど,演奏不可能な音を実現する合成技術とし
て近年着目されている.このモーフィングを単に新たな音の素材創りというのみ
ならず,譜面レベルでも,またテンポ,リズム,音響など要素間も移行するよう
なものも含めて,新しい音楽表現の一つとして構築することをここ何年かの
課題としている.譜面レベルのモーフィングとは,例えばジャズからバッハの
作風まで時間とともに徐々に変わっていくような楽譜,との意味である.この曲
では,音色モーフィングはコンピュータによる合成で,ほかのモーフィングは
作曲技法として,作者がチャレンジしている.
[曲の構成]
この曲は,地味だが全曲を貫くテーマを中心に据え,これと関連するいくつもの
小さな素材が順次提示されていく.この中心テーマと他のサブテーマとの関わり
は対比であったり,併存であったりさまざまなものがあるが,これらの要素間は
モーフィング接続による滑らかな接続を意図している.
[Sho-So-Inについて]
コンピュータパートは主にSho-So-Inにより創られている.これは,笙の機構
を真似て実装した物理モデルシステムである.この「デジタル笙」システムは,
笙の音色を疑似する機能と,従来の笙では表現できない音色を創り出す機能を
あわせ持っている.今回が,本システムを楽曲に応用する初めての機会である.
本システムは,NTTコミュニケーション科学基礎研究所において引地孝文により
開発された.このほか,同研究所製作の音合成システム「おっきんしゃい」も
使用している.